自分が居ない。
僕は、やりたいことを探し続けている。
何かに熱中できたら、といつも思う。
でも、僕にできることは何もない、という思いが常に付きまとう。
妻は、やりたいことがありすぎて困る、と言う。
正直、羨ましい。
占いをし、笛を吹き、絵を描き、詩を書き、筋トレをし、日々を過ごしている。
専業主婦だが、生活臭がまるでない。
こう書くと、まるで遊んで暮らしているようだが、彼女はこれまで地獄を這って生きてきた人間だ。
まだ出会って2年だが、同士であり、戦友という感覚もある。
しかし、今、僕と生き方はまるで違うように思える。
僕はただ、日々を生き抜くことに精一杯。
仕事から帰ると、もう何もやろうと思えない。
今日も月曜日だというのに、週末が待ち遠しくてならない。
週末に何がある?
医者に行った後、ひたすら寝るだけなんだけど。
これまで何にも興味がなかったわけではない。
ロックミュージックにのめり込み、今もロックがなければ呼吸できない。
近頃は、妻の影響で、ファッションにはまっている。
占いも少し。
しかし、ひたすら疲れているんだ。
毎日を生きるということ、ただそれだけのことに。
人は、夢なしには生きられない、という。
だからこれまで、幾度も夢があるふりをしてきた。
実のところ、夢など持ったことはない。
そんな余裕(と言っては失礼か)はないんだ。
生まれつき疲れている、そんな感覚。
他人は、省エネ人間などと揶揄するが、本当にエネルギーが枯渇しているのだから仕方ない。
どうしてこんなに疲れるんだろう。
社会不適合者が、必死で世間様に媚びへつらっているから?
真人間のふりをして生きているからか?
本当の自分を取り戻したい、という思いがある。
でも、取り戻したいと思える自分が、どこにも居ない。
空虚感、虚無感。
ニヒリストを気取るつもりはないし、好き好んでこうした日々を過ごしているわけではない。
こんな僕にも、奇跡は起きるのか。
事実2013年から起きた一連の出来事は、奇跡と言っていいと思う。
そのことについてはおいおい書くだろう。
でも、根底にある空虚感、虚無感は、何も変わっていないと感じる。
さあ、今夜も妻にしがみついて眠ろう。
眠剤よ、効いてくれ。
おやすみなさい。