ディラン
一昨日、大阪でディランのライブに参加した。
妻、田中くん、浅田くんと4人。
歌声、表情、すべてが僕を包んだ。
魂が震えた。
奇跡の夜。
僕は君に負けないが、君も僕に負けるなよ。
仕事を二日連続で休んだ。
昨日も今日も、朝は起きるのだが、いざ出勤するとなると、気持ちが折れて。
職場に電話して、上司に「体調が悪いので休ませてください」と言うのが辛い。緊張するし、悔しさもあるし。
二日とも、ベッドで寝たきり。
でも今夜あたりから、ちょっと回復の兆しが見えてきた。
明日から雨が降るそうな。
でも、出勤しよう。
年末まで、あと一息。
もうひと頑張り。
やることをやって、気分良く年末を迎えたい。
妻は鬱で寝込んでいる。
同様にメンタルで苦しんでいる多くの仲間がいる。
皆、無職か、アルバイトでしのいでいる。
フルタイムで働いているのは、僕くらいなもんだ。
僕が働き続けることで、彼らに何かしらの希望を持ってもらえたら、これ以上嬉しいことはない。
頑張った。
今日は、自分でも気持ちいいくらい仕事をした。
ちょっとした達成感。
帰ってきて、妻がダウンしていたので、夕食を作った。
アボカドとリンゴのグリーンサラダ、揚げ出し豆腐のステーキ、するめのキムチ。
我ながら、美味しくできた。
妻も喜んで食べてくれた。
終わってみれば、良い一日だった。
おやすみなさい。
12月だ。
いつものように昼休みに妻に電話をした。
日課である。
今日、妻は泣いていた、理由なく。
また危ないことが起こるかも、と一瞬嫌な予感が走った。
午後から、職場では、わざと大きな声を出しながら、仕事に集中している振りをした。
そうでもしないと、胸のざわめきが収まらない。
家では妻が泣いているのだ。
12月が始まり、寒い1日だった。
帰ってみると、妻は毛布に包まり寝ていた。
二人で風呂に入り、食事は僕が作り、たわいもない話をした。
一緒にDVDの映画を観た。
妻は終始、落ち着いていた。
そんな1日。
人事異動に伴って、今日から僕の隣にアルバイトが座ることになった。
62歳のおじさんだ。
みょうにふてぶてしいと思ったら、どうも会社のOBだそうで。
面倒臭い。
当面、この男と仕事をすることになる。
会社では一人でいたい。
孤立したい。
もう、無駄な争いをするのは懲り懲りだ。
妻は、今、横でタバコを吹かしている。
僕も一服して、寝ることにしよう。
12月、僕の生まれ月。
僕の季節が始まった、そんな気分。
1年が終わる。
何かが終わって行くのは、ロマンチックだと思う。
僕は、週末が好きであり、12月を愛している。
おやすみなさい。
自分が居ない。
僕は、やりたいことを探し続けている。
何かに熱中できたら、といつも思う。
でも、僕にできることは何もない、という思いが常に付きまとう。
妻は、やりたいことがありすぎて困る、と言う。
正直、羨ましい。
占いをし、笛を吹き、絵を描き、詩を書き、筋トレをし、日々を過ごしている。
専業主婦だが、生活臭がまるでない。
こう書くと、まるで遊んで暮らしているようだが、彼女はこれまで地獄を這って生きてきた人間だ。
まだ出会って2年だが、同士であり、戦友という感覚もある。
しかし、今、僕と生き方はまるで違うように思える。
僕はただ、日々を生き抜くことに精一杯。
仕事から帰ると、もう何もやろうと思えない。
今日も月曜日だというのに、週末が待ち遠しくてならない。
週末に何がある?
医者に行った後、ひたすら寝るだけなんだけど。
これまで何にも興味がなかったわけではない。
ロックミュージックにのめり込み、今もロックがなければ呼吸できない。
近頃は、妻の影響で、ファッションにはまっている。
占いも少し。
しかし、ひたすら疲れているんだ。
毎日を生きるということ、ただそれだけのことに。
人は、夢なしには生きられない、という。
だからこれまで、幾度も夢があるふりをしてきた。
実のところ、夢など持ったことはない。
そんな余裕(と言っては失礼か)はないんだ。
生まれつき疲れている、そんな感覚。
他人は、省エネ人間などと揶揄するが、本当にエネルギーが枯渇しているのだから仕方ない。
どうしてこんなに疲れるんだろう。
社会不適合者が、必死で世間様に媚びへつらっているから?
真人間のふりをして生きているからか?
本当の自分を取り戻したい、という思いがある。
でも、取り戻したいと思える自分が、どこにも居ない。
空虚感、虚無感。
ニヒリストを気取るつもりはないし、好き好んでこうした日々を過ごしているわけではない。
こんな僕にも、奇跡は起きるのか。
事実2013年から起きた一連の出来事は、奇跡と言っていいと思う。
そのことについてはおいおい書くだろう。
でも、根底にある空虚感、虚無感は、何も変わっていないと感じる。
さあ、今夜も妻にしがみついて眠ろう。
眠剤よ、効いてくれ。
おやすみなさい。
初めまして。
今日から、新しい日記を始めることにした。
僕は15歳からノートに日記を書いてきた。
それは全部捨てたられた。
ブログは、10年以上書いてきたが、消えた。
ビデオに向かって話すという、「ビデオ日記」ということも試していたが(これはかなり効いた)、保存が難しいということで中止。消した。
僕は、とにかく、自分が自分であるために、自分を出す、それを記録するという行為が必要であると思っている。
今、隣で妻がELTのDVDを観ている。うるさい。
日記は、自分と向き合う、自分とだけ向き合う時間が必要だ。
孤独になってこそ、日記という行為が成立すると思う。
去年結婚して以来、その時間が随分失われている。
それでも、書き続けてみよう。