気楽な暮らしを全力で!!

躁鬱、適応障害、AC、対人緊張などなどとテキトーに付き合いながら、生きている。

春がきた。

今日は週末金曜日、午後から研修、4時で終わった。

そんで、今日は給料日だ。

研修は国際交流会館で「チョゴリときもの」(参政権を考える)というもの。

面白かったが、今、在日外国人参政権は、議論するタイミングではないと思う。

 

帰りに大丸に寄って、ポールスミスのワンピースをゲット!

マキへのプレゼントだ。

喜んでくれて、僕もハッピー。

 

さあ、今日から三連休。

明日は、いつものカウンセリング。

日曜日は、アウディでタイヤ交換。

月曜日は、予定なし。

 

のんびりしたい。

お金もないし。

チーム赤貧だし。

でも、鴨川デートとかは行きたいな。

そんで、イチャイチャするのだ。

 

春ですね。

来たね、春!!

僕は君に負けないが、君も僕に負けるなよ。

仕事を二日連続で休んだ。

昨日も今日も、朝は起きるのだが、いざ出勤するとなると、気持ちが折れて。

 

職場に電話して、上司に「体調が悪いので休ませてください」と言うのが辛い。緊張するし、悔しさもあるし。

 

二日とも、ベッドで寝たきり。

でも今夜あたりから、ちょっと回復の兆しが見えてきた。

明日から雨が降るそうな。

でも、出勤しよう。

年末まで、あと一息。

もうひと頑張り。

やることをやって、気分良く年末を迎えたい。

 

妻は鬱で寝込んでいる。

同様にメンタルで苦しんでいる多くの仲間がいる。

皆、無職か、アルバイトでしのいでいる。

フルタイムで働いているのは、僕くらいなもんだ。

 

僕が働き続けることで、彼らに何かしらの希望を持ってもらえたら、これ以上嬉しいことはない。

 

頑張った。

今日は、自分でも気持ちいいくらい仕事をした。

ちょっとした達成感。

 

帰ってきて、妻がダウンしていたので、夕食を作った。

アボカドとリンゴのグリーンサラダ、揚げ出し豆腐のステーキ、するめのキムチ。

我ながら、美味しくできた。

妻も喜んで食べてくれた。

 

終わってみれば、良い一日だった。

おやすみなさい。

12月だ。

いつものように昼休みに妻に電話をした。

日課である。

今日、妻は泣いていた、理由なく。

また危ないことが起こるかも、と一瞬嫌な予感が走った。

 

午後から、職場では、わざと大きな声を出しながら、仕事に集中している振りをした。

そうでもしないと、胸のざわめきが収まらない。

家では妻が泣いているのだ。

 

12月が始まり、寒い1日だった。

 

帰ってみると、妻は毛布に包まり寝ていた。

二人で風呂に入り、食事は僕が作り、たわいもない話をした。

一緒にDVDの映画を観た。

妻は終始、落ち着いていた。

そんな1日。

 

人事異動に伴って、今日から僕の隣にアルバイトが座ることになった。

62歳のおじさんだ。

みょうにふてぶてしいと思ったら、どうも会社のOBだそうで。

面倒臭い。

当面、この男と仕事をすることになる。

 

会社では一人でいたい。

孤立したい。

もう、無駄な争いをするのは懲り懲りだ。

 

妻は、今、横でタバコを吹かしている。

僕も一服して、寝ることにしよう。

 

12月、僕の生まれ月。

僕の季節が始まった、そんな気分。

1年が終わる。

何かが終わって行くのは、ロマンチックだと思う。

僕は、週末が好きであり、12月を愛している。

 

おやすみなさい。

自分が居ない。

僕は、やりたいことを探し続けている。

何かに熱中できたら、といつも思う。

でも、僕にできることは何もない、という思いが常に付きまとう。

 

妻は、やりたいことがありすぎて困る、と言う。

正直、羨ましい。

占いをし、笛を吹き、絵を描き、詩を書き、筋トレをし、日々を過ごしている。

専業主婦だが、生活臭がまるでない。

こう書くと、まるで遊んで暮らしているようだが、彼女はこれまで地獄を這って生きてきた人間だ。

まだ出会って2年だが、同士であり、戦友という感覚もある。

しかし、今、僕と生き方はまるで違うように思える。

 

僕はただ、日々を生き抜くことに精一杯。

仕事から帰ると、もう何もやろうと思えない。

今日も月曜日だというのに、週末が待ち遠しくてならない。

週末に何がある?

医者に行った後、ひたすら寝るだけなんだけど。

 

これまで何にも興味がなかったわけではない。

ロックミュージックにのめり込み、今もロックがなければ呼吸できない。

近頃は、妻の影響で、ファッションにはまっている。

占いも少し。

しかし、ひたすら疲れているんだ。

毎日を生きるということ、ただそれだけのことに。

 

人は、夢なしには生きられない、という。

だからこれまで、幾度も夢があるふりをしてきた。

実のところ、夢など持ったことはない。

そんな余裕(と言っては失礼か)はないんだ。

 

生まれつき疲れている、そんな感覚。

他人は、省エネ人間などと揶揄するが、本当にエネルギーが枯渇しているのだから仕方ない。

 

どうしてこんなに疲れるんだろう。

社会不適合者が、必死で世間様に媚びへつらっているから?

真人間のふりをして生きているからか?

本当の自分を取り戻したい、という思いがある。

でも、取り戻したいと思える自分が、どこにも居ない。

空虚感、虚無感。

ニヒリストを気取るつもりはないし、好き好んでこうした日々を過ごしているわけではない。

 

こんな僕にも、奇跡は起きるのか。

事実2013年から起きた一連の出来事は、奇跡と言っていいと思う。

そのことについてはおいおい書くだろう。

でも、根底にある空虚感、虚無感は、何も変わっていないと感じる。

 

さあ、今夜も妻にしがみついて眠ろう。

眠剤よ、効いてくれ。

おやすみなさい。

 

 

 

 

初めまして。

今日から、新しい日記を始めることにした。

僕は15歳からノートに日記を書いてきた。

それは全部捨てたられた。

ブログは、10年以上書いてきたが、消えた。

ビデオに向かって話すという、「ビデオ日記」ということも試していたが(これはかなり効いた)、保存が難しいということで中止。消した。

僕は、とにかく、自分が自分であるために、自分を出す、それを記録するという行為が必要であると思っている。

今、隣で妻がELTのDVDを観ている。うるさい。

日記は、自分と向き合う、自分とだけ向き合う時間が必要だ。

孤独になってこそ、日記という行為が成立すると思う。

去年結婚して以来、その時間が随分失われている。

それでも、書き続けてみよう。

僕が僕であるために